心のバリアフリー(1)
人々の心の中には自分の受け入れたくないものを排除する機能、つまりバリアが築かれがちです。
難しいことではなく、たとえば美の基準を考えてみましょう。
私たちは常日頃から自分の顔や容姿に不満を持っています。でも我々が必死になって合わせようとしている基準というものはテレビや雑誌などから発信された人工的なものだということは考えたことがあるでしょうか?
美の基準はじめ価値観というものは世界を見比べると大きく違うことがわかります。たとえば我々の慣れ親しんでいるインドネシアではやせている人は魅力的だとは考えられていません。どちらかというとぽっちゃり系が美しいと思われています。毛深い女性も魅力的です。顔のパーツも大きく派手な、いわゆる西洋的な人はきれいといわれますが、同時に私たちが「トペン顔」と呼んでいる日本人に多い細い切れ長の目、ちょっとのっぺりとした顔立ちも「上品で気品がある」と褒められることが多いです。
我々は踊るときかならずメークをしますが、ジャワの化粧が映える顔立ちの一つに一重瞼あげられます。一重の目は色を置く面積が広く、二重のように隠れないので、たくさんの色を乗せることができるし、化粧のしがいもあるのです。にもかかわらず巷ではのりを使って、わざわざ二重にしてしまっている。これは本当にもったいないことです。
このように基準を変えるだけで価値観というものは180度逆転するのです。それを小さい世界のだれかが勝手に考え出した基準に振り回され「自分の顔は、体は」と思い悩むのはちょっとばかばかしくなってきませんか?
発想の転換と心のバリアフリーで世界が広がり、心が豊かになることを忘れてはならないと思います。これが「みんなちがってみんないい」を実現する第一歩です。
心のバリアフリー(2)
私の踊りの先生は先人の言葉としてこのようなことを言っていました。「インドネシアの踊りの美しさと強さは花でたとえれば百花繚乱の美しさだ、バラの花は美しいけれど、だからといって世界にバラの花だけしか存在しなければさびしいことだ」
一番さびしいことは我々が既製の「美の基準」というものに左右されて、その基準に当てはまらないものなら自分でも他人でも排除してしまう、という思考の乏しさではないでしょうか。そして表面的なものに振り回されている限り、内面の美しさを感じ取る能力が働くなることです。
先日小学6年生の女児が同級生を殺害するという凄惨な事件が起こりましたが、日本人の曲がった価値観のひずみが小学生にまで及んでいることを証明したように思います。多感な年頃だとはいえ、なぜ自分の価値そして存在価値を容姿にしか見出せなかったのでしょうか?インドネシアの先人が言うように、「強さと美しさは、多様性にある」と頭ではなく心から信じられたのなら、日本の社会にこのような価値観が根付いていたら、自分(そして他人)の存在を尊重できたのでは、と残念に思います。
我々が踊るときにはしっかりと化粧をして、豪華な衣装を着ることによって表面的なアラは隠せます。でも踊りの「恐ろしさ」は表面を突き抜け、踊っている人間の本質が見えてしまうことです。容姿相応の内面的美しさを踊り手が持っていればそれは相乗効果となり、その人の踊りの魅力が増すことでしょう。でも内面的なものがついていかない場合、何かアンバランスで、薄っぺらな印象を与えてしまうのです。派手な衣装を着ていても、本当は裸で踊っているのだと、肝に銘ずるとともに、表面的な美しさに惑わされない力をつけていくことが大切と思います。これは踊りの上だけではなく、日常生活の中でも大切な考え方です。(続く)
心のバリアフリー(3)
国際化しているようで、精神的な鎖国をし、差別がなくなったようで、心の中には壁がしっかりとできている、自由を謳歌しながら自縄自縛の状態にある日本において、芸術にできることはあるのでしょうか?
「差別は良いことですか、それとも悪いことですか」と問われれば、子どもでも「悪いことだ」と答えるでしょう。だれでも「差別は悪いこと」と判を押すように言いますが、それで差別はなくなったのでしょうか?表面上は「人間皆、平等」といいながら、心の奥底ではしっかりとバリアーが築かれている、そのようなダブルスタンダードを生きているのが我々です。しかも我々が囚われている基準の根拠はなかなかはっきりと見出せません。どちらかというと「どこかの誰かが勝手に決めた基準」に振り回されていたり、それで自分を縛ってしまっていることが多いといえます。
「良いこと、悪いこと」という表面的で理性的に判断をするだけでは、心の奥底に潜んでいる差別は絶対になくなりません。心のバリアーを崩しえるのは、人間の本質的な美しさを見抜く能力と想像力ではないかと思います。それが「みんなちがってみんないい」の根底にある価値観なのではないでしょうか。
踊りを教えていると生徒の本質というものが見えてきます。人の個性は人の数だけあることを痛感します。これは同質化の美しさではなく、多様性の美しさです。そして一人一人自分の中に可能性を見つけられるかどうかがその人の成長の分かれ目になります。自分の可能性に答えられる人もいるし、やはり自縄自縛状態から抜け出せない人もいます。でも芸術という世界に日常的に接することにおいて、確固とした自分の基準を打ち出し、既成観念から自分を解き放ち、同時に他人の存在とその存在の美しさを実感し受け入れる機会を得ることができるのです。
現在の日本では他人に対する思いやりが忘れられている、そんな指摘が多くされていますが、想像力や感受性の欠如が人間の考えを画一的なものに押し込んでしまい、その結果狭い考え方によって「異物」を「排除」する機能が出来上がってしまいます。これは現代人が陥りやすい罠ですが、心しなくてはならないことは人間の成長がこの時点で止まってしまうことなのです。これはもちろん芸術においても同じです。
「みんなちがってみんないい」は結局人間一人一人の心の問題です。心の中を変革することなくして社会を変えることはできません。そこに芸術がどうかかわるべきなのか、何ができるのかをこれからも模索していきたいと思います。
- 2006/06/28(水) 19:18:44|
- 今月のサンガールパムンカス(アーカイブス)
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公演のご案内です!演目、詳細は後ほどお知らせいたします。
洗足学園音楽大学 マスターズコンサート
「アジア音楽の愉しみ」〜日本とジャワの楽舞〜
日時:7月17日(月/祝)15:00
会場:洗足学園 前田ホール
(田園都市線・溝ノ口駅下車徒歩8分)
入場料:前売 2,500円/当日 3,000円
学生 1,000円/全席自由
洗足学園音楽大学所蔵のジャワガムランの楽器が、
学内の前田ホールで初めて演奏されます。
どんな音が響きわたるのか、とても楽しみです。
第1部「日本音楽と上方舞」
演奏:洗足学園音楽大学・現代邦楽研究所講師・研究生
尺八:山口賢治 三絃:西潟昭子 箏:野澤佐保子
上方舞:吉村桂充 胡弓:森重行敏
第2部「ジャワのガムランと舞踊」
演奏:ランバンサリ
舞踊:小島夕季、サンガール・パムンカス
企画・解説:森重行敏
主催:洗足学園音楽大学・大学院
お問い合わせ:洗足学園音楽大学演奏部
Tel 044-856-2981/ensou@senzoku.ac.jp
チケット予約:ランバンサリ事務局
Tel 03-5300-6361(木村)/office@lambangsari.com

- 2006/06/24(土) 08:28:29|
- 公演予定
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ゴトン・ロヨン
中部ジャワ大地震の被害は多大でしたが、インドネシアの人々は打たれ強い人々です。過去数年間を見てもいろいろな事件や災害が起こっています。バリ島やジャカルタでのテロ、自然災害では、火山の噴火、各地での地震被害、極めつけはスマトラ沖地震と津波は記憶に新しいところです。彼らはこれらの試練に力強く、忍耐強く戦ってきました。
インドネシアで大事件や大災害が起こるごとに国際的な支援を受けますが、インドネシアの人もただ指をくわえて手助けを待っているだけではありません。自ら被災しながらも、もっと困窮した人々を援助している人々の話が伝わってきています。これこそインドネシアの相互扶助の精神「ゴトン・ロヨン」が災害時にも生きている証拠だと思います。
ジョグジャ在住のハリアンジョ夫婦は以前から積極的に社会事業にかかわってきました。小児麻痺の後遺症がある女性は差別を受けることがあり、仕事を探すことは簡単ではありません。ハリアンジョ夫妻はそのような女性が仕事に就けるための支援をしてきました。美容室などの小規模の起業を行う女性を金銭的に支援したり、ミシンを提供し、小さなグループでクッションカバーやテーブルクロス、バッグなどを作成し、市場で販売したりする活動をしています。
今回の地震の際にはジョグジャの自宅から被害の大きかったバントゥル、クラテン、イモギリ地区に毎日通い、政府やNGO、国際的支援の届かない辺鄙な場所に食料を運んでいます。地震発生直後から数日間はご飯を、被災地の人々が瓦礫をかき集め火を起こし自炊することが可能になると、穀物やその他の食品を届け続けています。
またジョグジャには多くの外国人が在住しています。彼らの多くもいち早く行動を始めています。ハリアンジョ夫婦のように緊急支援にかかわっている人もいますが、外国人ならではの長期的な視野を持って支援活動を始めつつある人もいます。
ガムランや踊り、美術など主に芸術関係にかかわっている外国人が多数いる中で、ジョーン・スエナガは私のハワイ大学での先輩です。彼女は70年代からガムランを学びはじめ、過去20数年間ジョグジャに在住していますが、その間さまざまな慈善事業を行ってきました。今回もいくつかの支援事業を行う計画を持っています。たとえば支援物資として被災者に支給されている食料はどうしても栄養が偏ってしまいます。毎日のようにカップラーメンのみを食べている被災者も数多くいます。しかしこれから復興の長い長い道のりを歩いていく人々には十分な栄養が必要となります。また栄養不足から感染症にかかるケースも出てきており、特に衛生状態も悪化する中、重要な問題になっています。ジョーン達はあまり被害のひどくない地域の農民たちと協力して野菜などを被災地に届ける計画を立てています。まだ経済活動が完全に復旧していない地域では野菜が売れれば非常に助かります。
またその他の長期的支援策として、子供の心のケアを考えています。ジョーンにも子供がいますが、地震後は精神的にかなり不安定になり、赤ちゃんがえりみたいな状態になっているそうです。私の踊りの先生の子供さんも余震が起きたり、夜になると怖がるなど、精神的ショックからまだ回復できていない、と心配する手紙が来ました。
大人たちが食料や生活必需品や寝る場所の確保、そして町や村、経済活動の復興に駆け回っているために、子供の心の傷を癒してあげるゆとりはありません。それでも親がいるならばまだしも、地震で親をなくしてしまった子供たちも数多くいるのです。
また文化活動の復旧も彼女の大きな目的のひとつです。当然ながら地震後は文化活動が滞っています。日本人のわれわれにはあまり重要とは思えないかもしれませんが、彼らにとって芸能や音楽、踊りは生活の一部であり、生きるエネルギーの源です。敗戦直後の沖縄では「かんから三味線」というアメリカ軍の缶詰の空き缶を使って即席の三線を作ったといいます。彼らにとっては食べることと同じくらい、音楽は大切だったのですね。インドネシアの人々も同様です。文化活動を復活させることこそ、真の意味での復興の第一歩なのです。
さて、われわれの活動ですが、現在は上述したハリアンジョ夫妻を個人的に支援しているメンバーもいますし、そのほか個人的な知人、先生などの被害を調べたり支援したりする活動を行っています。
それが一段落してきたので、長期的な支援に視野を移そうと思っています。いろいろな人の活動状況の報告を受けていますが、上に述べた子供の心の支援、文化活動の復興が長期的な視野からみて最重要課題と位置づけます。ただし、現地でこのような復興活動を支援している人々も自らの生活を立て直さなければならないし、それと平行して行っているので、なかなか時間がかかるようです。具体的な支援が決まりましたら、またご報告いたします。最後ですが、支援は金銭的なもののみではなく、そのほかにいろいろできることが見えてきました。それについてもまた次回お話したいと思います。
- 2006/06/20(火) 21:39:28|
- ジャワ中部地震について
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中部ジャワで大地震が起きてから半月経ちました。現地との通信状況もよくなるにつれ、いろいろな情報が届くようになり、地震時の状況、そしてその後の生活の様子などが伝わってきています。
Hardi家
私のガムランの先生(Pak Hardi)は5年ほど前に亡くなられていますが、先生の奥さんと、成人しすでに結婚した3人の息子がいます。Pak Hardiの家はジョグジャの東南部にあり、被害が大きかったバントゥル地区よりもずっと街中にあります。この家はレンガ造りで、一階の一部にガムランの楽器を入れるための12畳くらいの部屋があります。今考えると、結果的にこの広い部屋が耐震性を低める要因になってしまったのでは、と思います。家の一部は改築して2階建てになっています。そして家のすぐ外には椰子や竹で編んだ小屋があり、そこが台所になっています。ちなみに昔風の家の台所は家の外にあるのが普通です
地震発生時奥さんはすでに起きていました。ジャワの人々はかなりの早起きで、特にこの奥さんは一日中何かしている働き者でした。この家に住んでいる三男は若手のガムラン奏者で、前日の晩は2時半に帰宅し、寝ていたところを地震に見舞われ、母親(先生の奥さん)に起こされて逃げることができました。家への被害ですが、2階部分が陥没し、1階部分は壁が残っているものの、だいぶ曲がっているということです。台所となっている小屋は簡単なつくりだったにもかかわらず、崩れずに無事でした。完全倒壊したわけではないので、地震後にガムランの楽器や家財道具はほとんど持ち出すことができ、台所や庭に保管してあります。とはいっても、壁が斜めになったり、一部壊れていたり、そのままに放置しておくのはとても危険です。取り壊して更地にし、もう一度家を建て直さなければならないことは言うまでもありません。でもそのためのお金がなかなか確保できません。インドネシア政府は壊れた家屋に対しての補償を行う、との声明を出しましたが、その金額、支給時などはまったく発表されておらず、住民たちもお金は早急に必要なものの、政府の補償はあてにならない、と感じています。
先生の奥さんは次男が住むマランという町に避難しています。三男は家の近くで過ごしています。家財道具、ガムランなどが家の外に保管してあるため、住民は(特に男性は)家の周辺に留まり監視しなくてはいけない、という事情もあります。これは家に被害を受けた人たちは皆同じです。彼らは治安の悪化も阻止しなくてはなりません。家の再建に必要なコストは高いのに、Hardi家のように職業を持っている人たちでさえ仕事ができない状態が続いています。
実はHardi家の住宅は「わけあり」で(ここの事情はいつか別の機会にお話したいと思います)、今回の地震の第一報を聞いたとき、この家が一番心配でした。ジャワの家屋は一般的にプロの手を借りず設計、施工されます。この私でさえ、作るのを手伝ったことがあります。日本の耐震偽装問題は耐震基準があるから発生したわけで、ジャワには似たような法律があるものの、まったく考慮されていないのが現実です。しかもジャワの人々はお世辞にも計画的と言えないところがあって、住宅を建築し始めたものの、お金が途中で底をついてしまい、その結果手を抜いてしまうことが良くあります。反対に大きな収入があると付け足したり、2階を建てたり、増築することが多いです。今回の地震においても、もともと耐震強度の低いレンガ造りの平屋建てに、2階部分を付け足したために、崩落してしまったというケースが多く見られています。
- 2006/06/15(木) 08:00:15|
- ジャワ中部地震について
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「ジャワ舞踊のジャンル(1)」 2005年12月8日更新
冬の到来ですね。本当は冬眠してしまいたいですが、今月も少しずつ練習と公演を続けて行きたいと思います(ジャワ舞踊はゆっくりと体を温めるので、とても冷えに良く効きます)。
10月にレクチャー公演を行いました。踊り5曲、プラスお話、という盛りだくさんのプログラムだったのですが、話の内容が支離滅裂になってしまいました。しかも今回試みた「踊り分け」というテーマはあまりにも深すぎたことと(私も再勉強していくうちにかなりの無理を感じていました)、限られた時間でこの広範囲にわたるテーマをカバーする、という荒業をやってのけるには経験が足りなすぎたことが災いして、結果として、話したい内容の表面をかすった程度に終わってしまいました。当然ながら後からいろいろご意見、ご質問をいただきました。ジャワ舞踊の基本的知識を伝えていくことの大切さを痛感しました。ということで、この場を借りてジャワ舞踊について、簡単なお話をしたいと思います。
ジャワ舞踊にはさまざまな種類のジャンルが存在します。その「出身」から見ると、王宮の由緒高いサラブレッド的な踊り(スリンピー、ブドヨ、など)、それから民衆の生活や村々の儀式などから発展した踊り(ガンビョン、ボンダン、など、または舞踊劇など)、に大別できます。しかし時代が進むにつれて宮廷は民衆の踊りを取り入れたり、それからヒントを得たりして、新しい宮廷舞踊を開発していきます。この良い例は、マンクネガラン王宮が民衆の舞踊であるガンビョンを積極的に取り入れ、宮廷舞踊までに昇華させたことがあげられます。1950年代に、マンクネガラン王宮は「ガンビョン・パレアノム」を創作、発表すると、ソロの舞踊界に大きな衝撃を与えたと言われます。このような、いわゆるハイブリッドの踊りの数々も、現在では古典舞踊のレパートリーに含まれています。
踊りのテーマから見てみますと、舞踊劇の一部のシーンを舞踊化したものには、さまざまなテーマが見られます。「愛と戦い」は大きなテーマの一つです。我々の踊りのレパートリーの中の「レトノ・ティナンディン」や「ユド・アスモノ」などの舞踊が代表的なものです。またガンドルンと呼ばれる踊りの種類は、恋する男性キャラクターの悶々とした思いを伝えるもので、これも非常に人気のあるレパートリーです。「ガンビール・アノム」や「クロノ・トペン」がこの種の踊りの代表格です。そのほかには、日常的なしぐさを取り入れた踊りも数多く見られます。「ガンビョン」や「ゴレッ」の中にも身だしなみを整えたり、お化粧をしたりするしぐさも取り入れられています。1950年代に創作された舞踊「タリ・バティック」は、バティックを作る工程を踊りで再現したものです。
宮廷の踊りには物語性のあるもの、ないものの両方が存在しますが、上に述べた踊りの数々とは幾つかの点で異なります。まずは、それらがエンターテイメントではなく、心身の鍛錬であったり、瞑想であったり、その神聖さによって王に権威を与えるため、などの目的を有する、という点です。観客の集中力や好みを考慮していないため、踊り一曲一曲が長いことが特徴です。慣れない人にとっては延延と続く踊りにあくびが出てしまうこと間違いないでしょう。また動きの面から見ると、それが抽象的であったり、高度に様式化していたり、簡単に言うと難解な踊りの種類と言えます。
あえて日本の芸能にたとえてみると、民衆の舞踊から発達した踊りは「歌舞伎」のようなもので、王宮の踊りは「能」に匹敵するのではないかと思います。

- 2006/06/07(水) 19:17:20|
- 今月のサンガールパムンカス(アーカイブス)
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中部ジャワで大地震が起きてから1週間たちました。医療、食料関係の支援は各国から多く届けられているということです。
ただし問題はこれらの支援物資の配分の偏りです。バントゥル地区についで被害が大きかったのはジョグジャとソロの間、クラテン地区です。被災者数、家屋の倒壊数を見てもバントゥル地区以上の被害が出ています。この地区は広大で奥地は交通の便も悪く、支援物資がほとんど届いていない、というのが現状です。しかも現地の支援者が送った食料で食中毒が起こったり(暑い国で冷蔵施設もないため)、支援したい人々の気持ちもなかなか届かないのが現状です。
このような状態の中、ジョジュジャ在住の友人、知人、先生などの無事を確認しました。ただし家屋への被害はおびただしく、無事だった人々も屋外生活を強いられています。現在は伝染病の蔓延、きれいな水の確保などが課題になっているようです。

- 2006/06/03(土) 09:38:17|
- ジャワ中部地震について
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「インドネシアの子供の安全管理(2)」 2006年2月26日更新
アメリカにおける子どもの安全管理ですが、子どもが12歳になるまで親の責任となっています。子どもの学校の送り迎えをはじめ、12歳になるまでは完全に監督下におくことが義務付けられています。もちろん家に一人で留守番させたり、一人で買い物に出したり、たとえ保護者と一緒でも、買い物中に目を離したりする、という行為は言語道断で親失格というレッテルを即座に貼られてしまいます。日本ではスーパーマーケットのお菓子売り場に子どもたちが集まってお菓子を選んでいますが(その間に親は買い物ができる、というメリットもあります)、そんなことをアメリカで行うと即座に怒鳴られます。子どもを少しの間でも目を離すこと自体が考えられない行為なのです。言うまでもなく親は大変です。日本での子育てとは違った面で厳しい目で見られることになります。同時に親のストレスを軽減するためにスクールバスを使ったり、ベビーシッターを利用したり、さまざまな工夫がなされています。
さてインドネシアには全く違った知恵があります。正直、警察はあまりあてになりません。だからこそ、その代わり市民は自分たちの身を自分で守るシステムを持っています。その根底にあるのは、地域のネットワーク化を強化することによって、犯罪を抑止する、という考えです。
日中はお年寄りがその役目を引き受けます。忙しい国から来た私たちにとってはどうみても暇な老人が道端でタバコをふかしながら井戸端会議をしているにしか見えないのですが、彼らは住民の行き来を熟知しており、外から来た人を監視し、留守宅に注意をはらったり、必要とあれば道案内をしたり、メッセージを受け取ったり、そして子どもが遊んでいるのを遠巻きに見守ったりしています。無茶なことをする子どもがいると戒めたり、車が来たら注意をしたりします。
夜は地域で自警団を組織して自分たちの地域の安全を守ります。インドネシアの住宅地や村に行くと、自警団の人たちが夜集まるための見張小屋のようなものが点在しています。そこで男性たちが夜な夜な集まり、時間になると夜回りをしたり、不審者が侵入しないか監視するのです。
ジャワの女性は働き者で、子供を何人も育てながら仕事をしている人が多いのです。そのような人の助けにもなっているのはメスジッド(モスク)です。そこでは子ども達が集まって一緒に遊んだり、イスラム教を学ぶ時間が設けられています。いわば学童保育と宗教教育をミックスしたようなもので、年代のちがう子どもたちと交わったり、地域社会との接点を強化したり(それによって子どもの安全が確保される)、さまざまな活動を行う拠点となっています。ジャワのイスラム教化は著しいものがありますが、それもこのような日常生活を助ける活動をおこなっていることにも起因しているのかもしれません。
このようなきめ細かなシステムのおかげで、インドネシアの子どもたちは、昔の日本のようにのびのびと遊んでいます。しかし良いところばかりではありません。プライバシーなどとは言っていられないし、住民が自発的に率先して仕事をしなくてはなりませんし、そうする中で人との摩擦がたくさん起こります。私がインドネシアに住んでいた頃、私の家の隣に自警団用の小屋を建てることになり、外国人の私もいろいろ参加しなければならず、まったく迷惑なことと感じました。このようなプロジェクトには国や市町村から援助が出ることはありませんので、住民がお金を集めて、自分たちで建てます。建てたら建てたで維持は必要だし、毎晩住民が交代で詰めなくてはなくては、建てた意味がありません。
その当時はこのような伝統的社会のやり方が、古臭いし、正直煩わしく面倒くさい、という感想しかもてませんでした。アメリカのようなやり方も、全く正反対なインドネシアのようなやり方も、共通しているのは、やるとなったらお金も手間隙もかかる、ということです。最近の日本は、煩わしいけれども地域力を持つ伝統社会にも属さないし、アメリカのようにドライに犯罪に対応するシステムを持たないにもかかわらず、楽をして安全を手に入れようとしています。文明国家において安全は無償で与えられるものであればよいのですが、残念ながらこれは神話と化してしまいました。安全は誰かがくれるものではなく、自分の手で得なければならない、そのためには大きな代償を払わなければならないのです。
日本においてもさまざまな取り組みがなされていますが、子どもの安全を守ることが第一の目的であることは当然ながら、それ以上に重要なのは、安全管理のシステムが機能することによって、子ども達が温かいまなざしで見守られている、という安心感を持ちながら大人も子どもも日々生活できることではないか、と思います
- 2006/06/01(木) 20:28:39|
- 今月のサンガールパムンカス(アーカイブス)
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「明けましておめでとうございます(1)」 2006年1月9日更新
皆様、明けましておめでとうございます。
最近子どもが日本各地で事件に巻き込まれ、社会に不安が広がっています。とうとう日本も豊かだけれど安心して暮らせない国になってしまいました。
しかも困ったことに、日本人の考え方には、人とかかわりたくない、厄介なことに巻き込まれたくない、という根強い思いがある反面、しかし安全は欲しい(特に自分の家族の)、社会が平和であって欲しい、というのは、あまりにも利己主義のような気がします。自分は関与、貢献したくはないが、周りの環境がよくなって欲しい、と言う一方的願いをいくら唱えたとしても、無駄なことは目に見えています。
では、ほかの国ではどんな知恵を駆使して子どもを守っているのでしょうか?個人主義のアメリカでも、インドネシアのように伝統的価値観が色濃く残る国においても、独特の知恵を駆使して犯罪、特に子どもをターゲットとした犯罪と戦っています。
アメリカでは些細なことでもすぐに警察に通報するという習慣があります。その時通報者には全く迷惑がかからないことが特徴です。騒音、夫婦喧嘩、家庭内暴力、交通事故、なんでもすぐに通報します。たとえば隣人の部屋からいつもと違う声や異常な音が聞こえてきたら、念のために通報します。その場合「結局なんでもなかったら、おとがめがあるかもしれないし、忙しい警察官にも迷惑をかける」などという心配は全く無用です。警察に一度電話をかけると、中途で切ってしまっても、電話番号から自宅を調べ、警察官が確認にやってきます。通報しようとしたものの、犯人に拘束されている可能性もあるからです。しかも通報後の対応が早いのも特徴です。アメリカ人は時間にルーズだと思いがちですが、警察官が駆けつける速さは日本の比較ではありません。家庭内暴力のような犯罪になるか、ならないか微妙なケースでも、警察官が第3者として状況を判断し解決する、というシステムが根づいています。
アメリカの警官というと暴力、汚職、そのような悪いイメージが日本では先行してしまっていますが、アメリカ人は自由な生活を謳歌するための前提条件として警察というシステムを受け入れ、警察官の指示には服従する(それによって治安が保たれる)、それが個人主義を尊重しながら治安をも維持するための知恵と理解しています。いうまでもないことですが、良識のある市民が警察官に逆らったり、暴言を吐く、などという行為は見たことがありません。なぜならそれは市民の安全を守るためのシステムを自らが壊すような行為だからです。
(続く)
- 2006/06/01(木) 20:22:24|
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インドネシア語 2005年4月1日更新
NHKでインドネシア語講座が始まるそうです。テキストにはバリの踊り手ユリアティをフィーチャーし、とても楽しい内容です。
インドネシアには250ほどの言語が存在しますが、インドネシア全国を統括する言語はインドネシア語です。インドネシア語はマレーシアやインドネシアにおいて通商に使われていたマレー語が元になっています。したがって非常にシンプルで、英語や日本語のような複雑な文法に悩ませられることもありません。余談になりますが、私が卒業したハワイ大学では、2年間の外国語学習が義務付けられていました。日本語や中国語などの言語はいつも人気が高いのですが、その分挫折者も多く出ます。単位が取れれば良い、という学生の中でインドネシア語は抜群の人気でした。理由はいうまでもありません。でもその中から次第にインドネシアに興味を持ち、研究者が数多く育っていったことも付け加えておきましょう。
私が始めてインドネシアに行った時には、全くインドネシア語を話すことができませんでした。かろうじてマカン(食べる)という言葉を知っていたのみです。ところが2ヶ月ほど経つと日常生活に関する言葉はほとんど使えるようになりました。「楽勝じゃん」と思ったのもつかの間、「地方語」の高い壁が立っていました(もちろんフォーマルなインドネシア語もとても難しく、ビザを申請したり、論文を書くときには苦労しました。世界どこを探しても簡単な言語などないのですね)。
ジャワ島では主に「スンダ語」と「ジャワ語」の2つの言語が使われています。私の滞在していた中部ジャワはジャワ語圏です。ジャワ語圏ではあれ、国語のインドネシア語は使えるはずなのですが、ところがどっこい、私が始めてジャワに行った頃は、標準語としてのインドネシア語はあまり使われていませんでした。
特に音楽や舞踊の先生はお年よりが多く、彼らの使うインドネシア語はあまりにも強いジャワ語訛りで、何度聞いても意味不明。インドネシア語で表現できない部分はすべてジャワ語になってしまいます。それもそのはず、彼らにとって、オランダがいたときはオランダ語をしゃべらされ、日本がインドネシアに侵攻したときには日本語をしゃべらされ、独立後はインドネシア語。彼らにとっては確実なものはジャワ語で、インドネシア語も外国語の一つなのです。互いに片言の外国語をしゃべっているような状態で、本当に伝えたいことが伝えられない、伝わってこない、というもどかしいシチュエーションを何度も経験しました。
現在ではテレビなどの普及により、若い人を中心に標準的なインドネシア語を話せるようになりました。踊りや音楽の学習をするときも、芸術学校の先生を中心に、とても詳しく的確にインドネシア語でなんでも説明してくれるようになりました。しかしジャワの文化を学んでいる我々にとっては全くジャワ語なしに生活していくことは不可能です。たとえば歌の歌詞、踊りの動きなどはすべてジャワ語です。しかし80年代までは、完全なジャワ語を話さない限り、ジャワ語は使うな、という風潮が強く残っていました。理由は数々ありますが、最大の理由として、ジャワ語は日本語と同様敬語が高度に発達していることがあげられます。その使い方を誤るとお年寄りや身上に対して失礼に当たるからです。その点、身分制度を根底から排除したインドネシア語であれば、少々ぶっきらぼうな言い方でも失礼にはあたりません。
もちろん外国人がジャワ語を話すことが奨励されないという現実を乗り越えて、ジャワ語をマスターした先輩たちが多くいることも事実です。ジャワ語の壁は私にとってもまだまだ高いものです。
(Kaoru Iijima)
- 2006/06/01(木) 18:54:22|
- 今月のサンガールパムンカス(アーカイブス)
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「インドネシア芸能における時間の感覚」 2005年6月1日更新
先月はゆとりということについてお話しましたが、「時間の感覚」は民族やライフスタイルによって随分違います。
そういう意味において、時間は相対的だと言えるでしょう。
インドネシアを知るには、ましてや文化を理解するには、その独特な時間の感覚を知ることが必要となります。
まずインドネシアの芸能の時間的長さには驚いてしまいます。
踊りは1時間程度の長さのものはたくさんあるし、ガムランの曲も一度始まると、次々とネックレースのように曲を数珠繋ぎにしていくし、ガムランの練習や演奏会も「おやつ」やおしゃべりをはさみながら4-5時間にわたる事は普通です。
極め付きは夜の9時から朝の5時ごろまで行われるワヤンの上演でしょう。
やはりどう見ても時間の感覚が現代の日本人と違っています。この違いは天候の差から生じる、と論じる人がいます。確かに生活のペースが日本と比べてゆっくりとしていることは間違いありません。でもそれでは芸能の長さも暑さに反比例するはずです。
確かにこの長さの理由はたくさんあると思います。
まず一つ目に上げられるのは、これらの芸能が忍耐力をはぐくみ、そして忍耐の大切さを見ている人にも伝える、という役割があるからではないでしょうか。
一時間踊りとおすことは、肉体的にはさほど大変でなかったとしても、一時間高レベルの集中力を保つことは至難の業です。舞踊劇はワヤンの人形を模倣しているため、自分のせりふや役がない場合は舞台の上でポーズをとったまま30分くらい不動で立ってなくてはならないことが往々としてあります。動かず、じっと立っている、というのは疲れなさそうですが、実は非常につらいのです。
忍耐力の象徴はワヤンの人形遣いであるダランです。
ダランは一度も場を立つことなく、7-8時間にわたる公演をこなすのです。しかも人形も遣い、語りも行い、歌も歌い、ガムランに指示をする、もはや神業のような記憶力、創造性、即興性、体力、忍耐力を求められるのです。これらの芸能が伝えることは人間の究極の理想としての「忍耐力によって培われた平常心」なのです。
このような考えは日常の生活にも反映されています。
急がないといえば、インドネシア人の歩き方の遅さも最初は戸惑うことの一つです(これは特にソロに当てはまります)。たいていの外国人はイライラさせられます。そして大人が緊急の場合でない限り道を走るのも、異常な行動に写ります。
こういうお国柄なので、日本人に見られるようなせっかちさは、未熟な人間性を象徴します。感情の面でも、怒りが濁流のように吹き上げたとしたら、それがゆっくりと沈殿するのを待つ、それが先に述べた「忍耐力によって培われた平常心」を実践したものなのです。
時間の話題はつきません。次回は皆様ご存知の「jam karet」についてお話したいと思います。
- 2006/06/01(木) 07:21:03|
- 今月のサンガールパムンカス(アーカイブス)
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「Jam Karet −伸び縮みする時間−」 2005年7月2日更新
インドネシア語を習い始めた方、またインドネシアに駐在されている方に、時間に関する言葉を上げてもらうとしたらJam Karetが必ずや上位にノミネートされることでしょう。
Jamは時間、karetはゴム。つまり時間は伸び縮みする、つまり2時と約束しても2時半でもよしとする、という感じで、普通はインドネシア人の時間に対するアバウトさ、という否定的な意味合いで使われます。当然時間厳守が体の中までしみこんでしまっている日本人にとって、これほどいらいらさせられることはありません。でも面白いことに時間に追われる日本人が「何かゆとりがないな」と、感じる時に、jam karetは「ゆとり」を象徴する言葉として魅力的な響きを持っていることも確かなのです。
時間ほど平等なものはない、といいますが、でもある側面から見ると相対的であると感じる瞬間もあります。たとえば楽しい時には時間が早く過ぎる、またはいやな仕事をしているときには、時計の針が止まったように感じる、等。つまりこちらもゴムのように伸び縮みするわけで、インドネシアの人は言い当てて妙なのではないでしょうか。
さて、インドネシアの音楽や踊りを学ぶとき、この伸び縮みする時間、というコンセプトをしっかりと理解していないと、なかなか真髄を学べません。
ガムラン音楽を例にとって説明すると、同じ長さ(サイクル)の曲において、基本になるテンポを輪ゴムのように伸ばして2倍の長さにすることがあります。当然間延びしてすかすかになるわけですけれど、そこをいろいろな楽器がその隙間を埋め込み「飾る」のです。ここの「飾り方」には演奏者の即興性、独創性、個性、そして音楽に対する理解の深さなどが現れる大事な部分です。曲によっては2倍になり、それが4倍になり、8倍になり16倍になることもありえます。つまり曲の原型を頭に置きながら、間延びしたスペースを時には華やかに、時にはしっかりと、曲の性質や役割(演奏会、踊り、ワヤン,等)を踏まえて演奏することが求められるわけです。したがって西洋音楽とはまったく違った難しさと楽しさがあります。
踊りは音楽の理論に基づいて作られているので、曲が輪ゴムのように伸びる、という性質をきちんと理解しないと、曲と動きの関係を理解できません。また、同じ動きでも、音楽が基本になるテンポの時と、間延びしている時とでは、当然音楽の色が違うので、動きもその違いを考慮しなくてはいけません。同じ間延びした部分でも、ぎっしりの中身が詰まった密度の濃い曲なのか、それとも淡々とした曲なのか、音楽の雰囲気が全く違うのに同じ踊り方をしていては、その人のセンスが疑われます。ただし、このレベルになると、きっちとした法則や規則が存在するわけではなく、個人の解釈、音楽や踊りに関する考え方などが色濃く反映される段階になります。
さてこの「伸び縮みする時間」を説明しようとすると、なぜかビッグバングのことを思い出してしまいます。ジャワでは音楽や舞踊を始めすべてがコスモロジーに結びついているといっても過言ではないので、これからも考察していきたいトピックです。少なくともあわただしい日常を離れて、こんな取り止めの無いことを考える「ゆとり」を確保したいものです。
- 2006/06/01(木) 07:18:34|
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「ゆとり」 2005年5月2日更新
一週間前に起こったJR線の大事故がまだ報道から消え去りません。日本の鉄道は世界一安全だと我々日本人、そして世界中の人が確信していただけに、与えた衝撃は大きいものでした。
外国の報道を見ると、やはりというか、当然というか、(たった)1分半の遅れ、ということが引っかかるようです。なぜそれと何百人もの人命とが天秤に掛けられなければならないか、それ以前にどこからこの二つを天秤に掛ける、などというコンセプトが生まれてきたのか、というところに日本の社会のある種の異常性が浮き出てくるようです。
確かにJRのずさんさというものが次々明らかになってきますが、私は事故の根本原因は我々日本人のゆとりのなさに集約されると思います。
ラッシュアワー時ともなると、1分程度の電車の遅が生じるだけで、「責任を取れ」と駅員に詰め寄る光景は日常的に目にします。せいぜい5分くらいのことで怒りを爆発させるほど、あわただしく、そして全くゆとりを持たずに人々や交通機関が動いているのが日本の大都会の現状です。
それであればなぜ15分でも30分でも時間的なゆとりを持って移動しないのか、という問題になります。秒単位で行動している人、いつも疲れている人、仕事の拘束時間が長い人、いろいろ理由はあるでしょう。でも自分の安全や安心を確保するためには、心のゆとりを持つことが必要です。
髪を振り乱しながら駅を走り回り、ほとんど閉まっている電車のドアをこじ開け乗り込み、駅に着けば人を押しのけわれ先に電車から降りるなりダッシュしていくような人の心の中には、美しい風景を楽しんだり、電車に乗っている人たちを観察したり、楽しい事を考えたり、新しい考えやアイディアが浮かんできたり、いわばささやかな人生の楽しみを放棄しているような気がします。時間は自分が管理するものです。管理のし方しだいでは、有効利用してゆとりをたくさん生みだすこともできれば、管理できなければ反対に時間の奴隷になってしまいます。
自分がゆとりのない生活を送っていると、他人に対する思いやりやりを忘れがちです。そしてこれが毎日の積み重ねであるゆえ、自分の人間性を形成するものです。
とはいっても、日本の都会で生きていく限り、時間との戦いは続きます。今回の事故を教訓として、自分の生活のなかでどのようにしたらゆとりを生み出せるか、ということを考えてみたいと思います。
(Kaoru Iijima)
- 2006/06/01(木) 00:51:06|
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