ジャワ舞踊グループ Sanggar Pamungkas

インドネシアの秘宝といわれる優雅で美しいジャワ舞踊のグループです。

「今月のサンガール・パムンカス」アーカイブス「Sabarについて」

ジャワの価値観を形成する柱の一つに「sabar」というコンセプトがあります。日本語に翻訳すると「忍耐」となるのでしょうが、「忍耐」というと耐えしのぶような意味合いが強く感じられます。「sabar」はもう少し広い「平常心を保つ」、「他人に対する寛容性を持つ」、「機運が熟すのをひたすら待つ」、「あわてず、あせらず、確実に」などの意味合いを持ちます。日本人にとって頭の痛い部分をついているとともに、ジャワ舞踊を実践する者にとっては一番重要なコンセプトであることは言うまでもありません。

ジャワではあからさまに感情をむき出しにする人は人格を疑われてしまいます。つまり、自分の感情さえ統率できない人が、何を統率できるのだろうか、という考えです。人間の精神的成長の尺度は、その人が自分の感情や欲求をコントロールできるかどうかで判断されます。同時に喜怒哀楽に振り回される状態から逸脱していつも心を穏やかな状態に保つことを人生の目標に定めます。これはもちろん踊りにも当てはまることで、ジャワ舞踊の滞りのない動きを実践するにあたって、一番の敵は感情の起伏です。いくらテクニックを追い求めてみても、「心の荒波」はどうしても隠しきれません。ジャワの舞踊は「sabar」の追及に他ならないのです。

物事を習う場合には数多くの習得方がありますが、私はこれを大きく2つに分けて「動物的」と「植物的」な学び方に分けて説明します。「動物的」とは文字通り、アグレッシブにそして論理的に物事を習得するというやり方です。もちろん、テクニックの習得、観察力、分析力などは必要不可欠です。ただ、ジャワの踊りの場合(もしかしたら芸術一般に当てはまることかもしれませんが)、このような習得方に囚われると、頭でっかちな踊りになってしまう恐れがあります。また、評価を外に求めたり、他人と比較してしまう傾向に陥ることも問題です。つまり、心の中に確固たる自信や確信がないと、その不安感を外の評価と他人との比較によって解消し、結果的にその奴隷になってしまう、という悪循環が始まってしまうのです。もちろん他人の批判を受け入れる謙虚さの必要性は強調しきれませんが、他人に「うまい」といわれれば舞い上がり、「下手だ」といわれれば落ち込む、自己満足や傲慢と、自己卑下や敗北感のジェットコースターに乗っているような状態になってしまうと、踊りとは自分と向き合うことだ、という基本を忘れがちですし、平常心を失いがちです。

これと対極をなすのは「植物的」な学び方です。つまり植物が根ざして、水を吸い上げ、その水がいずれ植物を形成するような気の長い習得方法です。私がハワイにいたときはこれを地でいくようなライフスタイルでした。ジャワの踊りを学ぶには、ジャワの習慣や文化の根底に流れる哲学や美的感覚に日常的に触れ、それに体の芯にしみこませる、という考え方が徹底していました。日常的な習慣やエチケットはもちろんのこと、コンサートのときには手作りでお供え物や飾りを作ったり、コスチュームを修繕したり、スラマタンと呼ばれる儀式的な食事を作ったり、お祈りをしたり、正直言って非常に手間隙かかる「不便」なものでした。しかも当然ながらすぐには結果が出ません。正直「こんなことやっていて、踊りと何の関係があるのだろうか?」と疑ったことも何度もありました。このような生活を十年近く続けたわけですが、今考えるとジャワで暮らした年月に勝るとも劣らない貴重な体験でした。ジャワ風に言えば「sabar」、日本的に言えば「急がば回れ」を学ぶ場だったわけです。

ちなみに私が一番苦労したのは感情のコントロールでした。根が短気な上、感情の起伏がない、イコールつまらない人間だと思っていたところもあります。でも、芸術一般に当てはまることですが、自分自身の感情を穏やかにすればするほど、もっと深い次元の感情表現が可能になる、ということがだんだんわかってきました。

さて、この2つの習得方法をバランスよく取り込むことがとても重要だと思うのですが、どうしても後者が置き去りにされがちです。日本のライフスタイルはあまりにも殺伐としていて、悠長なことをしていたら、踊りの練習をする時間がなくなってしまうでしょう。しかも、結果が見えなければ納得できない、次のステップに進めない、という日本人としてもっともな考え方を皆持つので、達成感を感じられる体験を重ねることも重要です。しかし、論理性や利便性だけを追求して、全くコンテキストなしに踊りだけをジャワから持ってきても人工的なコピーに終わってしまう恐れがあります。しかもジャワ舞踊は肉体的以上に精神的な表現形態です。このジレンマは永遠に続くでしょう。

この「異国の地」での理想と現実のギャップを克服するには「sabar」を理解し実践することが重要となります。具体的には、自分がどのように踊りとかかわっていくかを長期的視野でみる、そして自分の人間としての成長と平行した場所に踊りを位置づける。毎日ジャワの文化に接することが不可能であれば、自分と向き合い、精神的弱さを克服するのもれっきとした踊りの訓練方法です。現在日本でもスローフードが脚光を浴びていますが、これと同じに、踊りもゆっくりと楽しんで食べ、十分に消化し、それが身と肉になるころには心と体と踊りのバランスが自然に取れていくでしょう。そして、気持を豊かに持ち、心にゆとりをもって生活すれば、いずれ時が熟せば人間としての魅力が踊りからもにじみ出るようになるでしょう。そんなすばらしい踊りを個人として、そしてグループとしていつか披露したいと考える今日この頃です。
  1. 2006/09/30(土) 00:36:11|
  2. 今月のサンガールパムンカス(アーカイブス)

「今月のサンガール・パムンカス」アーカイブス「老いについて」

敬老の日を迎えて、テレビや新聞では「老い」に関するテーマが数多く見られる今日この頃です。どこかのコマーシャルにもあったように、老いは人類平等です。踊りに従事していると、普通の人よりこの事実を意識する機会が多いような気がします。同時にその捉え方にも文化的な色合いが強く出てくることに気づきます。
日本の芸術においては、成熟した踊り、成熟した表現力が好まれます。70を越えても、80を越えても、恋するうら若い乙女を描くことができる。そしてそれだけではなくて、それが評価される、これは、日本人にとって当たり前かもしれませんが、良く考えると、ここに日本の伝統芸能の奥深さと懐の広さ、表現の自由が見えてきます。
ところは変わって、インドネシアでは若い踊り手が好まれます。儀式性の強い踊りには、初潮前の少女でなくてはならない、という決まりも以前はあったようです。一般的に平均寿命が短い国では、若さというものに対する憧れが強いのではないか、と主張する人もいます。結婚式の出し物としての踊り、王宮での踊りも、踊り手の大部分は20代前半です。踊りの先生になるのならいざ知らず、「旬」を越えてしまった踊り手は、結婚したり出産したり、なかなか一線で活躍し続けるのは難しい状態です。
しかし日本でジャワ舞踊を始める人は、ほとんどがすでに「旬」を越えた(失礼!)年齢です。しかも「ピアノもバレーも芸術はすべて3歳から始めなければだめ」という考えが強い中で、我々の存在理由、そして踊りを続けていく理由は何なのか、時々改めて自分に確認することが必要となってきます。
先日「老い」に関するテレビを見ていて、100歳を超えても日本舞踊を踊り続けている女性の美しい姿に感銘を受けました。「生きる」ということを中心に考えると、自分にも人にも言い訳をせず、自分が生かされているということを日々感謝しながら生きていく、ということが普通の生活においてはもちろんのこと、芸術を追求する上では妥協できない部分ではないか、と思います。書いてしまえばそれだけのことですが、日々それを実践し、さらにその上に大きな理想や目標を掲げ、それに向かって精進することの難しさを感じます。
若くて美しい踊り手は、いくらもてはやされようが、年を取っていきます。そこで終わってしまう人もいれば、40、50、過ぎてから大輪の花を咲かせる人もいます。その差は何なのか、やはり一日一日の積み重ねに尽きるのではないでしょうか。
老いを嫌って突っぱねる人もいますが、芸術において、特に日本で活動していく上において、老いは「芸の肥やし」です。そう考えるとこれから年を重ねることをポジティブな目線で捉えることができますし、わくわくしてきます。確かに肉体の衰えは顕著に訪れるでしょう。でも嘆くことなく、あきらめることなく、しっかりと向かい合うことによって、老いを友にしている、素晴らしい踊り手をお手本にして、練習に励もうと思います。
先日テレビの番組で長寿に関しての最新研究を特集していました。日本人の寿命が長くなる中で、いかに長くではなく、いかに豊かにがキーワードになりつつあります。足腰を鍛えること、有酸素運動をすることが重要だ、という話をしていましたが、ジャワ舞踊はこの2つの条件を満たし、さらに体に負担をかけないというすぐれた特質を持っています。
生涯学習が教育の主流であるアメリカにおいて、一生を通じて生きがいを持つことの大切さ、教育がそれをサポートすることが当たり前になっています。日本では受験や就職のための勉強が主流ですが。そのようなアメリカで教育を受けて感じ入ったことがあります。私は子どもの頃からピアノが下手だったのですが、大学ではピアノの個人レッスンをやらなければなりません。そのとき最初に言われたことが、「君は世界的コンサートピアニストにはなれないが、良いピアニストになれるのだよ」でした。小さい頃からピアノを練習する人は多分「世界的なコンサートピアニスト」を目指しているのでしょう。でも「良いピアニスト」とはどういうことか、テクニック以外で考えることはあまりないかもしれません。でもたとえばフジ子・ヘミングが多くの人の魂を揺さぶることができたのも、彼女が「良いピアニスト」だからではないでしょうか。
私は今でも時々「良いピアニスト」とはどういうピアニストのことなのだろうか、と考えます。同時に「良い踊り」とはどういう踊りだろうか、と考えます。私の先生が生前「良い踊りとは、悪い人間を良い人間に変える踊りではないか」と時々考える、と語っていました。そんな踊りってあるんでしょうか?今の私では無理でしょう。でも考えるだけでわくわくしてきます。
  1. 2006/09/30(土) 00:29:28|
  2. 今月のサンガールパムンカス(アーカイブス)

洗足学園公演

今月のサンガール・パムンカス―ジャワの水事情

広島市で断水が続いていて、およそ2万5000世帯が影響をうけている、という。この暑い中、水のない生活は大変であろう。これに関するニュース報道の中で、日本人が毎日使う水の量はおよそ326リットル、と言っていた。これはかなりの量だ。トイレがかなりの水を消費するらしいが、タンクに溜まっている水がどのくらいの量なのか、あまり使っている実感はない。水の消費量を少しでも減らすための、根本的な対策も同時に望まれる。

ジャワは比較的水の豊富な場所だ。特に私が住んでいた中部ジャワは雨量も多く、水が豊かだ。今回日本で起こったような断水は、ジャワではまったく問題にはならない。なぜなら都市部では水道が発達しているものの、多くの人はいまだに井戸を利用しているからだ。しかし良いことばかりではない。そもそも東京などの都市部で井戸水が飲料用に使われないのは、水質汚染の問題があるからだ。つまりそれなりの理由があるのだ。ジャワの井戸は、専門用語はわからないのだが、ただ穴を掘っただけの井戸だ。以前確かカンボジアで井戸を掘っている日本人のドキュメンタリーを見たことがあるが、この人は(私の記憶が正しければだが)確か60メートルくらいの深さまで掘らないと、きれいな水は出ない、と言っていた。これは地層の構造にも左右されるだろうが、雨水などの地表からの水が、岩石によってろ過され、深ければ深いほど良い水が出る、ということだろう。話は飛ぶがハワイの水は多孔性の火山岩によって、100年間もかかって自然ろ過されているので、まったく化学薬品で処理することなく飲料水として使えるそうだ。もちろんおいしい。

さて、ジャワの井戸の水はこのろ過のプロセスを経ていないので、大気や土に含まれる不純物をも溶かして井戸に入る。ジャワの水の水質調査をしてみたいが、結果を見るのは怖い。でも、日本の技術を使って、ジャワの人々に清潔な水を飲ませてあげたい、これは私の夢の一つだ。政府も個人で掘る井戸に対しての規制はほとんど行っていないし、水質調査も特に問題が起こらない限り行われない。

井戸の水を汲むためにはバケツか電気ポンプを使う。最初にジャワに言った時には都市部でも水道が発達していなかったので、バケツで井戸の水をくみ上げていた。これは良い腕の運動になる。電気ポンプは「サンヨー」と呼ばれ(これはメーカー名であろう、英語でコピーすることをゼロックスする、というのと同じか?)最近ではほとんどの家で使われている。水道が通っている家でも、井戸を埋めてしまうことはあまりない。

インドネシアの水の使い方は日本と根本的に違う。水道があっても日本のように各家庭にいくつも蛇口があるわけではない。なので、一つか二つの蛇口からバクと呼ばれる水の貯蔵場所やバケツに水をためて、それを洗濯や食器洗い、また飲料水としても使う。まさに広島市民が強いられているようなやり方だ。日本では洗濯も、脱水も機械がやってくれるが、インドネシアではまだまだ洗濯機の普及率は低い。普通の家庭では手で洗う。最初にインドネシアへ行ったとき、熱い国なのに化繊の洋服を着ている人が多いことに驚いた。でも手で洗濯してみて、その理由がすぐにわかった。洗うもの簡単だし、乾くのは早い。反対に大変なのがTシャツ。ジーンズにいたってはNG。水を含むととても重いので、洗うのも、絞るのも大変。そして雨季になると乾かない。

毎日井戸水を汲んで、そして手で洗濯をしてみて、水の大切さが少しわかったような気がする。日本のように上下水道が整備されていて、しかも蛇口をひねるだけで水が出、その上、その水を煮沸することなくそのまま飲める。この当然のことが可能なのは、ほんの一握りの国に過ぎない。しかも清潔な水を確保できなくなる国々がこれからも増えるという。これが紛争の原因を作り出すのではないかと危惧されている。人間の生活には欠かせない水だけに、もっと考えなければならない問題だ。
borobudur

  1. 2006/09/01(金) 09:19:35|
  2. 今月のサンガール・パムンカス