まずはこの地域でこのような規模の大地震が起こったことに私はびっくりしました。私は延べ5年間以上中部ジャワに住んでいましたが、地震に遭遇したのはたったの2回です。それも日本では日常的に起こるような小さな地震でした。ただしそのような小さな地震でもレンガ造りの家はミシミシと音をたてていたのが不気味でした。私の家の周りには竹と木で作った家も多数ありましたが、そのような家はずいぶんと揺れたらしく、住民は皆外に出て大騒ぎをしていました。大地震が来たらこのような木やレンガ造りの家は木っ端微塵だな、と思ったことをよく覚えています。
被害の状況ですが、こちらのサイトに写真が多数掲載されています。
http://www.gudeg.net/jogjamenangis/
ジョグジャ在住の人と話をしましたが(携帯電話はつながるものの電波の状態が非常に悪かったです)ジョグジャ市内でも建物の被害が多く、住民が総出で人々の救出等にあたっているということです。
インドネシアはゴトンロヨンと呼ばれる住民間の相互扶助のシステムが強く根付いているので、このような災害時には心強いです。でも同時に国レベルの支援は大変遅れており、住民ができることは限られているので、犠牲者はもっと増えてしまうのではないかが心配です。また清潔な水や食べ物の不足から衛生状態が悪化することも懸念されます。
文化施設等への被害ですが、ISI(インドネシア国立芸術大学)は被害の大きかった地域にあるため、建物の50%くらいが崩壊したそうです。早朝だったにもかかわらず学生が数名なくなってしまったそうです。クラトン(王宮)の建物の中にも大きな被害を受けたものがいくつかあるそうです。また世界遺産に登録されている遺跡プランバナン(写真)も一部が崩れ落ち、立ち入り禁止になっているそうです。
思い出の多い町が大きな被害にあってしまったことは大きなショックですが、ジャワの人々は途方にくれながらも一歩ずつ復興に向けて歩みはじめています。私たちも日本でできることはないか、模索していくつもりです。


