「Jam Karet −伸び縮みする時間−」 2005年7月2日更新
インドネシア語を習い始めた方、またインドネシアに駐在されている方に、時間に関する言葉を上げてもらうとしたらJam Karetが必ずや上位にノミネートされることでしょう。
Jamは時間、karetはゴム。つまり時間は伸び縮みする、つまり2時と約束しても2時半でもよしとする、という感じで、普通はインドネシア人の時間に対するアバウトさ、という否定的な意味合いで使われます。当然時間厳守が体の中までしみこんでしまっている日本人にとって、これほどいらいらさせられることはありません。でも面白いことに時間に追われる日本人が「何かゆとりがないな」と、感じる時に、jam karetは「ゆとり」を象徴する言葉として魅力的な響きを持っていることも確かなのです。
時間ほど平等なものはない、といいますが、でもある側面から見ると相対的であると感じる瞬間もあります。たとえば楽しい時には時間が早く過ぎる、またはいやな仕事をしているときには、時計の針が止まったように感じる、等。つまりこちらもゴムのように伸び縮みするわけで、インドネシアの人は言い当てて妙なのではないでしょうか。
さて、インドネシアの音楽や踊りを学ぶとき、この伸び縮みする時間、というコンセプトをしっかりと理解していないと、なかなか真髄を学べません。
ガムラン音楽を例にとって説明すると、同じ長さ(サイクル)の曲において、基本になるテンポを輪ゴムのように伸ばして2倍の長さにすることがあります。当然間延びしてすかすかになるわけですけれど、そこをいろいろな楽器がその隙間を埋め込み「飾る」のです。ここの「飾り方」には演奏者の即興性、独創性、個性、そして音楽に対する理解の深さなどが現れる大事な部分です。曲によっては2倍になり、それが4倍になり、8倍になり16倍になることもありえます。つまり曲の原型を頭に置きながら、間延びしたスペースを時には華やかに、時にはしっかりと、曲の性質や役割(演奏会、踊り、ワヤン,等)を踏まえて演奏することが求められるわけです。したがって西洋音楽とはまったく違った難しさと楽しさがあります。
踊りは音楽の理論に基づいて作られているので、曲が輪ゴムのように伸びる、という性質をきちんと理解しないと、曲と動きの関係を理解できません。また、同じ動きでも、音楽が基本になるテンポの時と、間延びしている時とでは、当然音楽の色が違うので、動きもその違いを考慮しなくてはいけません。同じ間延びした部分でも、ぎっしりの中身が詰まった密度の濃い曲なのか、それとも淡々とした曲なのか、音楽の雰囲気が全く違うのに同じ踊り方をしていては、その人のセンスが疑われます。ただし、このレベルになると、きっちとした法則や規則が存在するわけではなく、個人の解釈、音楽や踊りに関する考え方などが色濃く反映される段階になります。
さてこの「伸び縮みする時間」を説明しようとすると、なぜかビッグバングのことを思い出してしまいます。ジャワでは音楽や舞踊を始めすべてがコスモロジーに結びついているといっても過言ではないので、これからも考察していきたいトピックです。少なくともあわただしい日常を離れて、こんな取り止めの無いことを考える「ゆとり」を確保したいものです。

