「インドネシア芸能における時間の感覚」 2005年6月1日更新
先月はゆとりということについてお話しましたが、「時間の感覚」は民族やライフスタイルによって随分違います。
そういう意味において、時間は相対的だと言えるでしょう。
インドネシアを知るには、ましてや文化を理解するには、その独特な時間の感覚を知ることが必要となります。
まずインドネシアの芸能の時間的長さには驚いてしまいます。
踊りは1時間程度の長さのものはたくさんあるし、ガムランの曲も一度始まると、次々とネックレースのように曲を数珠繋ぎにしていくし、ガムランの練習や演奏会も「おやつ」やおしゃべりをはさみながら4-5時間にわたる事は普通です。
極め付きは夜の9時から朝の5時ごろまで行われるワヤンの上演でしょう。
やはりどう見ても時間の感覚が現代の日本人と違っています。この違いは天候の差から生じる、と論じる人がいます。確かに生活のペースが日本と比べてゆっくりとしていることは間違いありません。でもそれでは芸能の長さも暑さに反比例するはずです。
確かにこの長さの理由はたくさんあると思います。
まず一つ目に上げられるのは、これらの芸能が忍耐力をはぐくみ、そして忍耐の大切さを見ている人にも伝える、という役割があるからではないでしょうか。
一時間踊りとおすことは、肉体的にはさほど大変でなかったとしても、一時間高レベルの集中力を保つことは至難の業です。舞踊劇はワヤンの人形を模倣しているため、自分のせりふや役がない場合は舞台の上でポーズをとったまま30分くらい不動で立ってなくてはならないことが往々としてあります。動かず、じっと立っている、というのは疲れなさそうですが、実は非常につらいのです。
忍耐力の象徴はワヤンの人形遣いであるダランです。
ダランは一度も場を立つことなく、7-8時間にわたる公演をこなすのです。しかも人形も遣い、語りも行い、歌も歌い、ガムランに指示をする、もはや神業のような記憶力、創造性、即興性、体力、忍耐力を求められるのです。これらの芸能が伝えることは人間の究極の理想としての「忍耐力によって培われた平常心」なのです。
このような考えは日常の生活にも反映されています。
急がないといえば、インドネシア人の歩き方の遅さも最初は戸惑うことの一つです(これは特にソロに当てはまります)。たいていの外国人はイライラさせられます。そして大人が緊急の場合でない限り道を走るのも、異常な行動に写ります。
こういうお国柄なので、日本人に見られるようなせっかちさは、未熟な人間性を象徴します。感情の面でも、怒りが濁流のように吹き上げたとしたら、それがゆっくりと沈殿するのを待つ、それが先に述べた「忍耐力によって培われた平常心」を実践したものなのです。
時間の話題はつきません。次回は皆様ご存知の「jam karet」についてお話したいと思います。

