ジャワ舞踊グループ Sanggar Pamungkas

インドネシアの秘宝といわれる優雅で美しいジャワ舞踊のグループです。

ジャワ中部大地震−その後

中部ジャワで大地震が起きてから半月経ちました。現地との通信状況もよくなるにつれ、いろいろな情報が届くようになり、地震時の状況、そしてその後の生活の様子などが伝わってきています。

Hardi家
私のガムランの先生(Pak Hardi)は5年ほど前に亡くなられていますが、先生の奥さんと、成人しすでに結婚した3人の息子がいます。Pak Hardiの家はジョグジャの東南部にあり、被害が大きかったバントゥル地区よりもずっと街中にあります。この家はレンガ造りで、一階の一部にガムランの楽器を入れるための12畳くらいの部屋があります。今考えると、結果的にこの広い部屋が耐震性を低める要因になってしまったのでは、と思います。家の一部は改築して2階建てになっています。そして家のすぐ外には椰子や竹で編んだ小屋があり、そこが台所になっています。ちなみに昔風の家の台所は家の外にあるのが普通です

地震発生時奥さんはすでに起きていました。ジャワの人々はかなりの早起きで、特にこの奥さんは一日中何かしている働き者でした。この家に住んでいる三男は若手のガムラン奏者で、前日の晩は2時半に帰宅し、寝ていたところを地震に見舞われ、母親(先生の奥さん)に起こされて逃げることができました。家への被害ですが、2階部分が陥没し、1階部分は壁が残っているものの、だいぶ曲がっているということです。台所となっている小屋は簡単なつくりだったにもかかわらず、崩れずに無事でした。完全倒壊したわけではないので、地震後にガムランの楽器や家財道具はほとんど持ち出すことができ、台所や庭に保管してあります。とはいっても、壁が斜めになったり、一部壊れていたり、そのままに放置しておくのはとても危険です。取り壊して更地にし、もう一度家を建て直さなければならないことは言うまでもありません。でもそのためのお金がなかなか確保できません。インドネシア政府は壊れた家屋に対しての補償を行う、との声明を出しましたが、その金額、支給時などはまったく発表されておらず、住民たちもお金は早急に必要なものの、政府の補償はあてにならない、と感じています。

先生の奥さんは次男が住むマランという町に避難しています。三男は家の近くで過ごしています。家財道具、ガムランなどが家の外に保管してあるため、住民は(特に男性は)家の周辺に留まり監視しなくてはいけない、という事情もあります。これは家に被害を受けた人たちは皆同じです。彼らは治安の悪化も阻止しなくてはなりません。家の再建に必要なコストは高いのに、Hardi家のように職業を持っている人たちでさえ仕事ができない状態が続いています。

実はHardi家の住宅は「わけあり」で(ここの事情はいつか別の機会にお話したいと思います)、今回の地震の第一報を聞いたとき、この家が一番心配でした。ジャワの家屋は一般的にプロの手を借りず設計、施工されます。この私でさえ、作るのを手伝ったことがあります。日本の耐震偽装問題は耐震基準があるから発生したわけで、ジャワには似たような法律があるものの、まったく考慮されていないのが現実です。しかもジャワの人々はお世辞にも計画的と言えないところがあって、住宅を建築し始めたものの、お金が途中で底をついてしまい、その結果手を抜いてしまうことが良くあります。反対に大きな収入があると付け足したり、2階を建てたり、増築することが多いです。今回の地震においても、もともと耐震強度の低いレンガ造りの平屋建てに、2階部分を付け足したために、崩落してしまったというケースが多く見られています。
  1. 2006/06/15(木) 08:00:15|
  2. ジャワ中部地震について