「ゆとり」 2005年5月2日更新
一週間前に起こったJR線の大事故がまだ報道から消え去りません。日本の鉄道は世界一安全だと我々日本人、そして世界中の人が確信していただけに、与えた衝撃は大きいものでした。
外国の報道を見ると、やはりというか、当然というか、(たった)1分半の遅れ、ということが引っかかるようです。なぜそれと何百人もの人命とが天秤に掛けられなければならないか、それ以前にどこからこの二つを天秤に掛ける、などというコンセプトが生まれてきたのか、というところに日本の社会のある種の異常性が浮き出てくるようです。
確かにJRのずさんさというものが次々明らかになってきますが、私は事故の根本原因は我々日本人のゆとりのなさに集約されると思います。
ラッシュアワー時ともなると、1分程度の電車の遅が生じるだけで、「責任を取れ」と駅員に詰め寄る光景は日常的に目にします。せいぜい5分くらいのことで怒りを爆発させるほど、あわただしく、そして全くゆとりを持たずに人々や交通機関が動いているのが日本の大都会の現状です。
それであればなぜ15分でも30分でも時間的なゆとりを持って移動しないのか、という問題になります。秒単位で行動している人、いつも疲れている人、仕事の拘束時間が長い人、いろいろ理由はあるでしょう。でも自分の安全や安心を確保するためには、心のゆとりを持つことが必要です。
髪を振り乱しながら駅を走り回り、ほとんど閉まっている電車のドアをこじ開け乗り込み、駅に着けば人を押しのけわれ先に電車から降りるなりダッシュしていくような人の心の中には、美しい風景を楽しんだり、電車に乗っている人たちを観察したり、楽しい事を考えたり、新しい考えやアイディアが浮かんできたり、いわばささやかな人生の楽しみを放棄しているような気がします。時間は自分が管理するものです。管理のし方しだいでは、有効利用してゆとりをたくさん生みだすこともできれば、管理できなければ反対に時間の奴隷になってしまいます。
自分がゆとりのない生活を送っていると、他人に対する思いやりやりを忘れがちです。そしてこれが毎日の積み重ねであるゆえ、自分の人間性を形成するものです。
とはいっても、日本の都会で生きていく限り、時間との戦いは続きます。今回の事故を教訓として、自分の生活のなかでどのようにしたらゆとりを生み出せるか、ということを考えてみたいと思います。
(Kaoru Iijima)

