ジャワ舞踊グループ Sanggar Pamungkas

インドネシアの秘宝といわれる優雅で美しいジャワ舞踊のグループです。

留学事情今昔

留学事情今昔

留学というと英語圏のアメリカやオーストラリアを思い浮かべる方が多いと思いますが、インドネシアのガムランや踊りを本場で学ぼうと長期留学する人も非常に多いのです。留学生の数では日本人は少数派ですが、インドネシアに留学するのも比較的簡単になった昨今、最近の事情をきくと、昔に比べて随分楽になったな、と感じます。

ハワイの先輩たちがジャワに長期留学を始めたのは1970年代の初め、外国人などあまり眼にすることの無かったインドネシアの人にとって、得体の知れない存在だったことでしょう。また留学生にとっても驚きとカルチャーショックの連続で、今の私たちには想像も及ばない苦労と努力を重ねなくてはならないのでした。特にまだ女性の社会進出が進んでいなかったインドネシアでの女性留学生の苦労は計り知れないものだったそうです。

ジャワの伝統芸能の世界は日本同様、男性社会です。女性が楽器を弾いたり、習ったりすることはほとんどありませんでした。また、10年位前まではガムランの練習は夜10時ごろから始まって、夜を徹して行うのが通例でした。その中に外国人の女性が入っていくのは非常に勇気のいることでした。

ジャワの社会一般も彼女らを簡単には受け入れませんでした。うら若い女性が、結婚もせず、外国に来て、しかも封建的なガムランや踊りを学ぶという、はっきり言って普通の感覚では「異常」で「非常識」なことでした。女性一人で生活する、というのもその頃は考えられないことでした。未婚の女性は家族と暮らし、既婚の女性は旦那さんと暮らすのが当たり前です。つまり戦前の日本同様、女性はいつも誰かに守られていなければならない、という考えが強かったのです。外国人を受け入れてくれる家族や下宿先を探すのも大変なことでしたし、夜、外出を許してもらうのも簡単なことではありませんでした。アメリカや女性の進出の著しい先進国から来た留学生にとって、この価値観の違いは大きかったに違いありません。

現在では芸術大学の先生はレッスンをお願いすると気軽に、気楽に引き受けてくれますし、大体レッスン料も決まっているので、問題は起こりにくくなっています。でも一昔前までは、これが大変時間と気配りを必要とするプロセスだったのです。まず、外国人に教えられる先生が少なかったこともあります。昔の芸術家は家族の中で知識を口述で伝承してきました。子供の頃から音楽や踊りに接してきた子供は自然と知識を身に着けます。したがって、教える側は一から、しかも理論整然と教える必要も機会も無かったわけです。いきなり文化の全く違う外国人に一から教えられる先生は限られていました。

現在では、ガムランの先生はたいてい楽譜を作れますが、一昔前までは、プロの音楽が楽譜を使うことは考えられず、しかも、楽譜を使う教え方は邪道だと考えられていました。私が最初にジャワに勉強に行ったときでさえ、ビデオカメラはもちろん、カセットプレーヤーも持っていませんでした。レッスンといっても、先生が弾く楽器の音に神経を集中して覚えるのが主流でした。踊りも同様で、レッスンが終わった後、その日に習った動きを忘れないようにメモをするのが日課でした。

言語も大きな障害でした。一昔前の芸術家の中でしっかりとインドネシア語を話す人は数少なかったのです。ジャワの芸術文化はジャワ語を中心としたものです。インドネシア語をしゃべっても、外国語をしゃべるように不自由で、言いたいことを表現できない芸術家は数多くいました。

以前は、家族や小さいグループで知識が伝承されていたので、あまり外ものには教えたくない、と考える人もいました。昔の留学生はそのような特殊な社会の中に受け入れられようと何年もかかって努力をしてきたのです。

そして「お金」の問題も大きな障害でした。外国人留学生が増えた現在では、先生とレッスン料について直接話をすることも珍しくありません。しかし、ジャワの人々は、お金の交渉を当事者同士、直接行うことを嫌がります。したがって、この先生にはいくらくらいお礼を差し上げるべきか、調査をしなければならなかったのです。以前は気まぐれで芸術家肌の先生も大勢いました。たとえレッスンの段取りを整えても、渡したお礼十分ではなく、その次からレッスンをしてもらえなくなることが、よくありました。

レッスン料では問題がなくとも、約束の時間に先生と会えないこともあります。現在は電話が随分と普及していますし、携帯電話を持つ人が非常に増えていますが、ほんの数年前までは、コミュニケーションがとても難しかったのです。急に激しい雨が降れば、レッスンは自動的にキャンセルになりますし、そうでなくとも「ゴム時間」を実践しているおおらかなジャワの人の時間感覚は留学生にとって、理解しがたいものです。最初の数年間、留学生はジャワの生活になれずに一喜一憂してしまいます。

現在では、ジャワの人々も「ガムランや踊りを習いにくる変な外国人」の存在になれてしまったのでしょうか、以前のように不思議がられることがなくなってきたような気がします。私たちは、苦労して学んできた留学生たちの存在をあまり考えることはありませんが、彼らがいたからこそ、そして彼らが根気よく価値観の違いを埋める努力をしてくれたからこそ、現在、我々が留学生として快く受け入れられるのだ、という事実を忘れてはならないと思います。同時に、彼らがジャワのすばらしい文化を世界に広めようという情熱を持っていたからこそ、今我々が外国にいながらジャワの文化に接することができるわけです。

そして、もう一つ忘れてはならないのは、「変な外国人」を忍耐と広い心を持って受け入れてくれたジャワの人々の柔軟性と寛容性です。外国人が日本に来て、伝統芸術を学ぶのは、現在でもとても大変なことです。ジャワの人々は、そのおおらかな精神で、自分たちが守ってきた伝統文化を、惜しみなく外国人にも分け与えてくれたのです。そのおかげで私たちの今の活動があることを、しっかりと受け止めて行きたいと思います。

  1. 2006/05/31(水) 19:02:37|
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