ジャワ舞踊グループ Sanggar Pamungkas

インドネシアの秘宝といわれる優雅で美しいジャワ舞踊のグループです。

「今月のサンガール・パムンカス」アーカイブス「心のバリアフリー」

心のバリアフリー(1)
人々の心の中には自分の受け入れたくないものを排除する機能、つまりバリアが築かれがちです。
難しいことではなく、たとえば美の基準を考えてみましょう。
私たちは常日頃から自分の顔や容姿に不満を持っています。でも我々が必死になって合わせようとしている基準というものはテレビや雑誌などから発信された人工的なものだということは考えたことがあるでしょうか?
美の基準はじめ価値観というものは世界を見比べると大きく違うことがわかります。たとえば我々の慣れ親しんでいるインドネシアではやせている人は魅力的だとは考えられていません。どちらかというとぽっちゃり系が美しいと思われています。毛深い女性も魅力的です。顔のパーツも大きく派手な、いわゆる西洋的な人はきれいといわれますが、同時に私たちが「トペン顔」と呼んでいる日本人に多い細い切れ長の目、ちょっとのっぺりとした顔立ちも「上品で気品がある」と褒められることが多いです。
我々は踊るときかならずメークをしますが、ジャワの化粧が映える顔立ちの一つに一重瞼あげられます。一重の目は色を置く面積が広く、二重のように隠れないので、たくさんの色を乗せることができるし、化粧のしがいもあるのです。にもかかわらず巷ではのりを使って、わざわざ二重にしてしまっている。これは本当にもったいないことです。
このように基準を変えるだけで価値観というものは180度逆転するのです。それを小さい世界のだれかが勝手に考え出した基準に振り回され「自分の顔は、体は」と思い悩むのはちょっとばかばかしくなってきませんか?
発想の転換と心のバリアフリーで世界が広がり、心が豊かになることを忘れてはならないと思います。これが「みんなちがってみんないい」を実現する第一歩です。

心のバリアフリー(2)
私の踊りの先生は先人の言葉としてこのようなことを言っていました。「インドネシアの踊りの美しさと強さは花でたとえれば百花繚乱の美しさだ、バラの花は美しいけれど、だからといって世界にバラの花だけしか存在しなければさびしいことだ」
一番さびしいことは我々が既製の「美の基準」というものに左右されて、その基準に当てはまらないものなら自分でも他人でも排除してしまう、という思考の乏しさではないでしょうか。そして表面的なものに振り回されている限り、内面の美しさを感じ取る能力が働くなることです。
先日小学6年生の女児が同級生を殺害するという凄惨な事件が起こりましたが、日本人の曲がった価値観のひずみが小学生にまで及んでいることを証明したように思います。多感な年頃だとはいえ、なぜ自分の価値そして存在価値を容姿にしか見出せなかったのでしょうか?インドネシアの先人が言うように、「強さと美しさは、多様性にある」と頭ではなく心から信じられたのなら、日本の社会にこのような価値観が根付いていたら、自分(そして他人)の存在を尊重できたのでは、と残念に思います。
我々が踊るときにはしっかりと化粧をして、豪華な衣装を着ることによって表面的なアラは隠せます。でも踊りの「恐ろしさ」は表面を突き抜け、踊っている人間の本質が見えてしまうことです。容姿相応の内面的美しさを踊り手が持っていればそれは相乗効果となり、その人の踊りの魅力が増すことでしょう。でも内面的なものがついていかない場合、何かアンバランスで、薄っぺらな印象を与えてしまうのです。派手な衣装を着ていても、本当は裸で踊っているのだと、肝に銘ずるとともに、表面的な美しさに惑わされない力をつけていくことが大切と思います。これは踊りの上だけではなく、日常生活の中でも大切な考え方です。(続く)
心のバリアフリー(3)
国際化しているようで、精神的な鎖国をし、差別がなくなったようで、心の中には壁がしっかりとできている、自由を謳歌しながら自縄自縛の状態にある日本において、芸術にできることはあるのでしょうか?
「差別は良いことですか、それとも悪いことですか」と問われれば、子どもでも「悪いことだ」と答えるでしょう。だれでも「差別は悪いこと」と判を押すように言いますが、それで差別はなくなったのでしょうか?表面上は「人間皆、平等」といいながら、心の奥底ではしっかりとバリアーが築かれている、そのようなダブルスタンダードを生きているのが我々です。しかも我々が囚われている基準の根拠はなかなかはっきりと見出せません。どちらかというと「どこかの誰かが勝手に決めた基準」に振り回されていたり、それで自分を縛ってしまっていることが多いといえます。
「良いこと、悪いこと」という表面的で理性的に判断をするだけでは、心の奥底に潜んでいる差別は絶対になくなりません。心のバリアーを崩しえるのは、人間の本質的な美しさを見抜く能力と想像力ではないかと思います。それが「みんなちがってみんないい」の根底にある価値観なのではないでしょうか。
踊りを教えていると生徒の本質というものが見えてきます。人の個性は人の数だけあることを痛感します。これは同質化の美しさではなく、多様性の美しさです。そして一人一人自分の中に可能性を見つけられるかどうかがその人の成長の分かれ目になります。自分の可能性に答えられる人もいるし、やはり自縄自縛状態から抜け出せない人もいます。でも芸術という世界に日常的に接することにおいて、確固とした自分の基準を打ち出し、既成観念から自分を解き放ち、同時に他人の存在とその存在の美しさを実感し受け入れる機会を得ることができるのです。
現在の日本では他人に対する思いやりが忘れられている、そんな指摘が多くされていますが、想像力や感受性の欠如が人間の考えを画一的なものに押し込んでしまい、その結果狭い考え方によって「異物」を「排除」する機能が出来上がってしまいます。これは現代人が陥りやすい罠ですが、心しなくてはならないことは人間の成長がこの時点で止まってしまうことなのです。これはもちろん芸術においても同じです。
「みんなちがってみんないい」は結局人間一人一人の心の問題です。心の中を変革することなくして社会を変えることはできません。そこに芸術がどうかかわるべきなのか、何ができるのかをこれからも模索していきたいと思います。


  1. 2006/06/28(水) 19:18:44|
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